責任能力のない未成年者の監督責任に関する最高裁判例

 「小6蹴ったボールよけ死亡、両親の監督責任なし」というニュースに接しました。

 判決全文はこちらで公表されています。結論としては妥当な判決だと思いますが、11年かけて最高裁まで争わないとこの判決がでなかったということに疑問が残ります。

 遺族側の弁護士は、民法709条又は714条1項に基づく損害賠償を子供の両親に対してのみ請求していました。

 民法714条1項は次のように規定しています。
  1. 前二条の規定により責任無能力者がその責任を負わない場合において、
  2. その責任無能力者を監督する法定の義務を負う者は、
  3. その責任無能力者が第三者に加えた損害を賠償する責任を負う。
ただし、
    監督義務者がその義務を怠らなかったとき、は、この限りでない。

1.の責任無能力者というのは未成年者のことで、民法712条は次のように規定しています。
  1. 未成年者は、
  2. 自己の行為の責任を弁識するに足りる知能を備えていなかったときは、
  3. その行為について賠償の責任を負わない。
2.は「責任弁識能力」と呼ばれています。法的な責任を負うかもしれないと理解できる能力のことですが、判決では、その下限は11歳から14歳まで広く分布して分かれており、今回も責任能力はあると判断される可能性もあったのですが、判決では、責任弁識能力はないと判断されています。

 常識的に考えると、11歳になれば、自分が間違ったことして人に怪我をさせれば単に謝って済むことではなく、法的な責任を負わなければならないのではないかということくらいわかる知能はあるではないか、とも思いますが、後に説明する昭和49年の最高裁判決がでるまでは、責任能力があるとされると民法714条の不法行為が成立せず、被害者が救済できなくなってしまうので、ちょっと無理して高い年齢の子供でも、そんな知能はない、と説明してきたのです。学説では、自分が間違ったことして人に怪我をさせれば単に謝って済むことではなく、法的な責任を負わなければならないのではないかということくらいわかる知能は6、7歳ならあるのじゃないか、などと言われています。

 実は、ここが訴訟のテクニックに左右されるところで、今回のように、あえて学校は訴えないとか,民法709条だけで請求しちゃうとか、民法719条1項だけで請求しちゃうとか、様々で、被害者救済の見地から、裁判官が多少強引に、この子にはそんな知能はないことにしちゃおうと認定してしまうのです。

  1. 未成年者が責任能力を有する場合であつても
  2. 監督義務者の義務違反と当該未成年者の不法行為によつて生じた結果との間に相当因果関係を認めうるときは、
  3. 監督義務者につき民法七〇九条に基づく不法行為が成立する
とされたので、そんなに無理に、そんな知能はない、と認定する必要はなくなったのです。

 今回の判決では、
  1.  責任能力のない未成年者の親権者は、その直接的な監視下にない子の行動について、人身に危険が及ばないよう注意して行動するよう日頃から指導監督する義務がある
  2. 本件ゴールに向けたフリーキックの練習は、通常は人身に危険が及ぶような行為であるとはいえない。
  3. 通常は人身に危険が及ぶものとはみられない行為によってたまたま人身に損害を生じさせた場合は、当該行為について具体的に予見可能であるなど特別の事情が認められない限り、子に対する監督義務を尽くしていなかったとすべきではない。
とした上で、
 遺族側の民法714条1項に基づく損害賠償請求は理由がなく、民法709条に基づく損害賠償請求も理由がない。
としました。

 もし遺族側が民法709条だけで訴えを提起していたら、11歳の子供には責任能力があると認定された上で、民法709条に基づく損害賠償請求が認められるかが主な争点になっていた可能性もあります。

 今回、保険がどうなっていたのかは、よくわかりませんので、どうして学校を訴えなかったのか、についても軽々しく評価はできませんが、このように法律というのは、単なる形式論理ではなく、保険を誰がどのようなものをかけていたのか、子供が何歳なのかといった事実関係や、裁判官の価値判断によって左右されるものだということは頭の片隅にでもいれておいたほうがいいのかもしれません。

 本判決は事例判断にすぎませんが、民法714条1項ただし書の監督義務者の免責を最高裁として初めて正面から認めた判決として実務上重大な意義を有するものといえるでしょう。

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